レースの過酷さ
オグリキャップの出現から現在まで続いているのが第2次競馬ブームです。対する第1次競馬ブームと言うのはハイセイコーの活躍がきっかけとなり起こりました。「輪島・江川・ハイセイコー」などと、その当時スポーツ界で活躍していた3者で表現する流行語も生まれる程の大人気でした。この3者には共通点がありました。それは「異色の経歴の持ち主」という事です。
ハイセイコーは3歳(現在の2歳)の時に大井競馬で全て7馬身以上の差で6連勝するなど圧倒的な強さで勝ち上がり、4歳で中央競馬に移籍しました。移籍後の初戦の弥生賞とスプリングステークスは期待以上とは言えないまでも強さを見せ付けての連勝、その後の皐月賞でも圧倒的一番人気に答えて圧勝しました。ダービートライアルでもあった次走のNHK杯では苦戦しながらも1着となり、デビュー以来無敗の10連勝を飾ってダービーに挑む事になりました。ダービーでは単勝支持率66.6%と圧倒的な支持を得ます(単勝支持率の国内最高はハクチカラ85%)しかしながら結果はタケホープの3着と惨敗で、ダービーというレースの過酷さを示す事となりました。
昨今の競馬からすれば、ハイセイコーのローテーションは過酷なように思えますが、当時はこれが普通でした。どのレースでも勝ちに行く仕上げを陣営は施していたために、結果的に使い過ぎによる疲労蓄積が直接の敗因ではないかと言われています。まだ博打のイメージが強かった競馬界がこのハイセイコーの大活躍で注目を集めるようになり、ローテーションの見直しなど、現在の競馬に通ずる動きとなっていったのです。